wakuzoのブログ

ブログというより過去の思い出日記

寝れないから任天堂との歩みを振り返る①〜パールの思い出その1〜

現在時刻は3:21。コロナ自粛により完全に生活リズムを破壊され寝付くことが出来ない。ここ最近明るくなってから寝て、起きたら午後の真ん中にいる。一人暮らしは気楽で良いものだけど、こういう時に叱ってくれる人がいないのは寂しいなぁと思いつつ、今日もYouTubeで時間を溶かす。


さて、なぜ突然ブログなのか。

高校同期に面白いブログを書く人間がいて、それに憧れたからである。彼のような綺麗な言い回しや、読む人を魅き込む構成は到底出来ないのだが、twitterのように文字数に追われることなく、ただダラダラと自分の好きなことを書くのは楽しそうだなと彼の文を読んでて思った。

(というか、今までなんも気にしてなかったけど、ブログを書くのが得意な高校同期って普通にパワーに溢れてる。あの高校にいたから違和感なく受け入れてるけど、早々いないでしょ。ブログを書くのが得意で、涼しい顔で1000ファボ集めるツイートする高校の同期なんて。)

というわけで彼に憧れてブログを書いているわけなんだけど、ここまでで既に口調が定まってないし、ブログを書くのって難しいんだなって痛感してる次第である。

彼の文体に引っ張られがちだが、なんとか自分らしい文を書こうと思うので、暇な人は読んでくれたら嬉しい。どうせみんな暇でしょ。


で、何を書くか。最近はもっぱらSwitchでポケモンどうぶつの森しかやってないので、せっかくならこのことについて書いてみようかなと。

思えば僕が初めて手にしたゲームは「ポケットモンスター パール」だった。幼稚園の頃毎年ゲームボーイアドバンスをサンタに頼んでは叶わないを繰り返していた僕が初めてDSを手に入れたのは小1の頃である。普段は自分のわがままを一切言わなかった(今からは想像もつかないが、当時は本当に自己主張をしない人だった気がする)兄がある日突然、晩酌中の父親に涙ながらに「DSが無いと友達との会話についていけないから買ってくれ」と土下座で頼み込んだ時は弟として結構衝撃的だった。意味もわからず一緒に泣きながら土下座したこと、その姿にほだされた父親がつられて泣きながら購入を約束してくれたこと、「普段大人しい人が突然見せる本気には誰も勝てない」という僕の人生観はここから来てるのかもしれない。

その後「1日30分、2時間までは貯金(貯時間?)可」というルールで本当にDSがうちに来た時の感動は今でも覚えてるし、初めて電源をつけポッチャマと旅に出た時の興奮、セーブ機能を知らずにセーブせずに電源を切り、次につけた時にまたナナカマド博士が画面に出てきたときの絶望は今でも僕の人間性に影響を与えてる気がする。

(余談だが、僕はこの時から全てのポケモン作品においてパートナーは水タイプと決めている人)

ところで、兄弟2人で1つのセーブデータだったにも関わらず喧嘩せずに済んだのは、この時の絶望感から兄貴の熱が冷め、もっぱら僕が進める形になったからだったのだろうか。この辺りはあまり記憶が定かでない。


そんなこんなで旅を始めた僕だが、初めてするゲームは予想の何万倍も面白かった。今までテレビで見ることしかできなかったポケモン達を自分の手で繰り出し、技を指示し、レベルを上げる、進化させる。なんと楽しいことか。やはり増田順一は天才である。


というわけで1回目はここまでにしようと思う。次回はパールの具体的な旅の思い出でも綴ろうと思うので、やったことない人にとっては意味わからないだろうし、やったことある人にとってはそれなりに面白い文章になるんじゃないかと、未来の自分に期待して締めることとする。